楽曲への伝言

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zoom RSS ソプラノ歌手の諸冨善美さんに、日本のこころを歌っていただく・・・

<<   作成日時 : 2008/09/19 18:56   >>

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先日、九月十六日に、光陽台三区の敬老祝賀会がありました。
当日は、ソプラノ歌手の諸冨善美さんに特別出演を、お願いしました。

祝賀会の企画経緯として、「ご出席の方々は戦前、戦中を苦労されて・・・そして焦土となったこの日本を今日までに発展させた方々ばかりです。そうした皆さんへ、諸冨さんが渾身をこめて『日本人のもっとも大切なこころ』を歌ってくださる」 という運びになりました。

区のこうした行事は、予算が厳しいものですから、諸冨さんへの出演依頼が無理なお願いとなります。(薄謝)
しかし、諸冨さんは気持ちよく、お引き受け戴きました。

また、予算の都合で伴奏もなしで・・・お願いしました。
そうです!アカペラで歌って頂いたのです。

曲数は全部で最終的に、15曲歌って頂きました。(下記の曲目です)

@ 花
A 朧月夜
B みかんの花咲く丘
C 雨降りお月
D 夏は来ぬ
E 浜辺の歌
F 夏の思い出
G 月の沙漠
H 七つの子
I 荒城の月
J 叱られて
K ペチカ
L 仰げば尊し
M 故郷
N 千の風になって

この十五曲を、一番だけ歌って頂いたのです。(時間の都合で一番だけ) 
そして、ステージでの内容については、お任せしますとお願いしたところ、
諸冨さんは、このすべての曲に対して丁寧な解説を付けて歌って頂きました。

ですから、公演後に聞いた話では、皆さん、曲の経緯が良くわかって、とてもよかったと、評判でした。
面白いことに、皆さん、良くご存知の曲ばかりですから、最初から小さなハミングが聞こえてきました。
こうした、会場での気安さと、恐らく何よりも懐かしさから自然発声したものと思います。

でも、「ご一緒にどうぞ・・・」と、最後の辺で聴衆の皆さんに、お誘いしても、諸冨さんのお声を聞くのに差支えがあっては・・・と、皆さん遠慮されたようです。

この曲の選曲の多くは、私が行ったのですが、四曲ほどの入れ替えと追加が入って上記のプログラムとなったのです。これらを、四季と通年の流れを追うようにして、諸冨さんは見事にステージを創ってくださいました。

お願いをして、ひと月足らずで、ご準備いただき、急で申し訳なかったと思いましたが・・・区民の皆さんも、私の企画に大満足でした。

ところで、演奏の感想ですが、やはり、伴奏なしでの歌はいいものだと感じました。

人のこころというものは、人の発声に一番共鳴するということを肌で感じることができました。

この十五曲を歌うときに、諸冨さんご自身でも、コンディションが微妙にあったと思います。こちらが、聞いていても、すごくいい出来だなと思う曲と、まずまず、と思う曲、その辺は色々とありましたが、個々の方が受け止めるときは、また違ったものがあると感じました。

つまり、音楽と文学、どちらも共通して言えることですが、受け止める側での主観によって感激が違うと言うことです。

それは、表象としての音楽と、言語すなわち記号としての文学も、主観によって感激が聴衆や読者に委ねられるということです。

ですから、普通、私など音楽会に行って「ブラボー」なんて過去一度も言いませんが、こうして、ごく身近にて素朴な歌を聴くことで・・・そして自分の気持ちが共鳴し、高揚することで、つい、「ブラボー」といってしまったのです。

私が、「ブラボー」といった曲以外でも、おおっと思うようなできばえの曲がありましたが、やはり、そのときそのときの私のこころの状態とがマッチングしないと、「ブラボー」にはならないことがわかりました。

それと、諸冨さんの持って生まれた声の音質が、私の耳に心地よく伝わるのも一因していました。でも、携帯でお話しすると・・・ちょっと、おやっと思うのですが、やはり会話するのとは、声帯の使い方が違うからでしょう。

あの歌声の発声で、お話して頂ければ、会話の中身なんぞ聞き取っていないで、うっとりして、何でもイエスと返事するでしょうね。

ウィーン少年合唱団や、ウィーン国立歌劇少年少女合唱団が日本の歌を歌うのを聞いても、発声はきれいでも、どこか感激しないものがあります。それは、声の音質だけでなく、気持ちが伝わってこないのです。それは、歌には気持ちを伝える要素が別にあるからでしょう。

それは、音程や響き、といった世界共通の音楽エレメントではなく、演奏に魂が寄り添っているか?というところではないでしょうか?では、どうやって魂が曲の流れに寄り添うか?

これは、難しいことですが、やっぱり呼吸ではないかなぁ〜と思います。

それは、魂が響いているときの間合いではないか?と思うのです。

だから、音ではない。ということですね。音楽は音だけでは成り立ちませんから、無音の響きが大切なのではと思います。楽譜という構築物は確かに基本ではありますが、それだけですと、味気の無い演奏になってしまいます。
ウィーン少年合唱団は、日本の歌など、いとも簡単に立派に楽譜通りに演奏するでしょう。しかし、日本の心は演奏できない。これが何故か面白い。

哲学者のジャック・デリダが唱える『脱構築』ではありませんが、楽譜だけの『形にとらわれない』ということが音楽演奏で大切なことのように感じます。それは、楽譜を無視するのではなく、楽譜を超えた演奏が求められるのです。

それには、やはり土壌の文化に対しての愛がないと無理でしょう。

逆に、西洋の音楽でも、たとえばショパンのマズルカを弾こうとしても、彼らの文化に親しんでいなければ、どんなにうまい演奏をしても、「どこか違うなあ〜」と言われるに決まっています。

では、「そうした風に体得できる条件は?」、と考えますと、やはり、その文化の中に溶け込んで、その郷土を愛しているか?ということでしょう。従って今回の演奏会では、『日本のこころを歌った曲』を、如何に大切に愛しているか?その『こころ』がなければ、歌っても、人の心を打たないでしょう。

諸冨さんは、見事に会場の皆さんの心に感動を与えられたのです。
それは、やはり郷土の歌い手だからでしょう。

今回の企画は、今まで敬老祝賀会が、ただの飲み会から、『脱構築』し、一歩前進して、日本の文化を懐かしむ会となって、皆さんは心もかるく満足して帰られました。

哲学を行動に結びつける、我流、『行動哲学』の実行も、まずまずの成果でした。
あと、生意気にて、つけ加えますと、プロの演奏家に課せられた仕事とは、大ホールでの演奏ばかりでなく、郷土とともに、文化を育ませることだと思います。それが証拠に、西洋の音楽は、身近な市民の楽しみとなっているではありませんか?

(少人数の聴衆の前で演奏することは、意外と難しいですよ!反応がもろに伝わってきますから!あるプロの演奏者は、ステージの前席を空席にしないと、演奏しない人もいるくらいですから・・・)

by 大藪光政



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